今年令五年9月、私は町立図書館の中にあるガラス張りのフリースペースの一室で、兵庫県在住のKさんと土地の売買契約を交わしました。飲食店を数件経営されている実業家のKさんは、ラベンダーの上質のシャツと磨かれた革靴。3分遅れて現れたKさんは穏やかな笑みを浮かべ、成功者の風格を漂わせていました。
方や駆け出しの百姓ならぬ古代人の私。
この二人がなぜ円満な合意を交わすに至ったのか?
私がこれまで歩んできた道のりを振り返りながら紐解いていこうと思います。
題して「預金残高30万の私が、五千坪の山林を購入することができた、いきさつ」です。
どうぞ最後までお付き合いください。
全8話
第1話 田園回帰。自然農の実践を始める
第2話 10カ年計画発表
第3話 痛みの始まり(前編)
第4話 痛みの始まり(後編)
第5話 竹林の牛舎に住むと決める
第6話 メガソーラー男との闘い
第7話 Sちゃんの悲劇
第8話 【最終回】山林を購入する。新たなステージへ
第1話 田園回帰。自然農の実践を始める
2016年10月、私は50代を迎えました。その頃の私はそろそろセラピスト勤務から独立して、自宅開業したいと考えていました。その手のワークショップに参加していたのもこの頃です。
師走を迎えようとしている頃、私はある明晰な答えを得ました。突然、私のカラダの中に答えがやってきた、そんな感覚でした。それは「米を作れなければ一人前の人間にはなれない。」というものでした。
私は大変驚いたのですが、同時にとても深く納得しました。そして、その「答え」を得られたことの畏れ多さを感じ、直ちにその「答え」に従うことに決めました。指令、というか、命令、のように感じました。
私はネットで自然農教室を調べると、空席が一席残っていました。私は幸運を実感し、直ちに申し込みました。そして数日以内に、私は長年住み馴れたシェアハウスの荷物をすべて片づけ、岡山の実家に戻りました。
2017年厳冬。私は朝日に向かって自転車をこいでいました。澄み切った青空にオレンジ色の朝日。凍てつく寒さを忘れる美しさでした。
片道3時間。日帰りができるだけでも有難い。月2回、一年間通いました。
並行して私は実家の五畝(ごせ)の田んぼでも、さっそく実践を始めました。
秋。稲刈りをして、はざ掛けをしました。青空に黄金色の稲穂。嬉しくて、稲穂に頭を突っ込んだり、下をくぐってみたり。嬉しくて喜びで一杯でした。
私は誰が何と言おうと意に介せず、百姓仕事を楽しみ、没頭し、研究しました。
私は三次元の人間社会から身を隠し、生き物の世界に居場所を移しました。たくさんの友達ができました。
ジャンプして私に抱きついてくる青ガエル。
どろの主、日本亀。
貴族のようなカマキリ。
忍者のような絶滅危惧種、カヤネズミ。
食べることに夢中な野生タヌキ。
風来坊のキツネ。
臆病者のシマヘビ。
スリムでしなやかな野生ネコ。
生き物だけでなく群れをなす草たち・・・
彼らも驚くべき能力をもっていて・・・草の話は別の機会に改めます。
五畝の楽園という居場所を得、生き物たちと蜜月の日々をすごしていた私に、ある日とんでもない出来事が襲いかかるのです。
たんぽぽ街道と名づけた幸せの黄色い道が一転、何者かの手によって草56し(除草剤)が撒かれていました。焼けただれた残酷な虐殺に、私はボーゼンと立ちすくむしかありませんでした。なんとむごいことを・・・
私は自転車に飛び乗り、犯人と思わしき男性のもとに飛んでいきました。
何であんなむごいことをするんですかァ!!と、言いたいのをぐっとこらえ、「あの道は私が責任をもって手入れしますから。今後草56しは撒かないでください!」男性は「ちゃんと手入れしてよ。」と言い残し、悪びれた様子もなく、家の中に消えました。
交渉は成立しました。
私は殺されたたんぽぽの仇(かたき)は必ずとると、心に誓いました。
集落には作法というものがあります。
徳川の時代から、農地は集落の百姓が一定の取り決めの中で手入れをしています。地主もしくは借主が、農地に隣接した道やのり面の手入れに責任を持つ。
こうすることで共同で利用する道や畔などをもれなくカバーすることができ、集落の手入れが行き届く。
先人からのお互いさまの美徳です。私たちの集落ではこの作法を「ほとら刈り」といいます。つまり、集落版奉仕活動です。
この奉仕活動は、しないことへの罰則はありませんが、先人から伝統的に受け継がれている仕事であり、”ほとら刈りをする”ということは、地主もしくは借主のあかしとなり、大変名誉なことでもあるのです。
ですからほとら刈りを担っている百姓は、それだけでも充分に伝統の担い手であると言えますし、その集落の言わば良心、もっと言えば霊的な支柱であると言えるのです。
ほとら刈りは公の務めですので、個人の野良仕事よりも優先されます。なぜならほとら刈りは集落の暮らしやすさと直結しているからです。集落自治の礎ともいえます。たとえば集落のお百姓みんなが利用する水路の畔(畔)、農道の路肩、のり面といったインフラは徳川の時代から百姓らが協同で管理しています。
ほとら刈りというのは、協同体の共有するインフラを、集落の百姓の手で管理運営をするという自主独立の仕事です。ほとら刈りをすることで集落への愛情が育ちます。三世代前までは親、祖父母、子、孫といった家族総出で、ほとら刈りをしていました。機械のない時代です。農村から偉人が生まれるといわれていた時代です。田園風景が美しかったあの時代です。ほとら刈りをすることで集落への愛情が育ち、郷土愛が育まれます。郷土愛は人格の礎となり、人々は同じ郷土愛によって繋がります。その繋がりが、集落の人々に平安をもたらします。郷土愛が波紋のように幾重にも重なりあうことによって、集落が繫栄していくのです。
ところが昨今、集落繁栄の原動力であるはずのほとら刈りが、あろうことか集落破壊工作の最重要オペレーションとしてその役割を180度転換されてしまいました。何によって?草56し(除草剤)によってです。近代化農業の正体については別の機会にお話ししますが、昔ながらの草刈りが、DOKU薬の撒布に置き換わることによって、取り返しのつかない壊滅的なダメージを受けることになりました。
1.集落の景観がみすぼらしくなったことは言うまでもありません。
2.甚大な環境破壊であることも言うまでもありません。ですがそれ以上に本質的な打撃、それは百姓の堕落です。精神の破壊です。
祠(ほこら)を祀(まつ)り、神様を畏(おそ)れ、隠匿積善を美徳としてきた百姓の道徳心が穢(けが)れ、堕落してしまったのです。堕落とは何か?美徳がわからなくなったということです。神様との信頼関係が途絶えた、ということです。その結果、景観がみすぼらしくなろうが、生態系が破壊されようが、知ったことではない。ただただラクに仕事を片付けたい。百姓ではなく生産者と呼ばれたい。集落の人の健康、安心よりもお金をもうけたい。ほとら刈りはやっつけ仕事。草56しを撒いてさっさと済ませる。
百姓は草56しを使うようになって、農YAKUメーカーの動機を取り込むようになりました。すなわち神に代わって農を支配する、という独占と収奪の人類の支配者になる、ということです。百姓は中央政府の農業政策のプロパガンダによって洗脳されてしまい、ラクになる、儲かる、という甘い言葉に魂を売り渡してしまいました。そして遂に集落の長老らによって、草56しでラクになるという思考の枠組みをデフォルト(標準化)させることに全会一致で認定されてしまったのです。プロパガンダによって集落の合意を取り付けることに成功したのです。この合意は全国化しています。
草56しは百害あって一利なし、であるとか、欠陥商品であるとか、集落の破壊工作である、と真実を訴えたとしても、よほど骨のある首長さんのいる集落でない限り、簡単にこの合意を覆すことは困難になっています。高山集落もこのプロパガンダに合意しています。ほとら刈りに草56しを使うことが標準化されていたのです。たんぽぽ街道に草56しを撒いた男性長老も、最先端のスマート農業を手本とされており、プロパガンダに嵌(は)められているだけにすぎないのです。
この経験をもとに、私は、諸悪の根源である、この”合意”を覆すことを活動の中心に据えました。そして私は、集落自治会の総会に殴り込み、否、請願に出向いたのです。
第2話へつづく