風の起こし方

はるか昔に滅んだ「労り一族」の子孫 『労り人 久巫こ』 のブログ

預金残高30万の私が、五千坪の山林を購入することができた、いきさつ第3話(前編)②【全8話】

第3話 痛みの始まり(前編)②
 いつものように草刈りに出た私は、突然、クスリのような臭いに襲われ、息を吸っても吸っても空気がカラダに入らず、窒息状態になりました。何が起こったのかわからず、すぐに自宅に戻り横になりましたが、呼吸ができないほどの息苦しさ。私はかつてその土地に撒かれた農薬や汚染された大気に反応しアレルギー反応を起こしたのです。これが発症の前触れでした。

 2019年元旦。甥っ子が我が家に訪ねてきたその夜、座ったこたつ布団の臭いに動悸がし始め、夜な夜なふとんの全てを物置に移しました。その後横になるのですが、カラダは冷たくなり、動悸、痛み、痺(しび)れで一睡もできません。二日目の夜、私は再び動悸発作に襲われ、息苦しさと呼吸困難、両腕がブルブル震え、意識が混濁し始めます。私はただ事ではないと判断し、救急車を呼びました。ハァハァと荒い呼吸で手足は冷たく、暗闇に引き込まれそうな恐ろしさの中を耐えていました。結局、点滴を打ってもらい、容体が落ち着いたので、深夜自宅へ戻ることができましたが、これが全ての始まりとなったのです。

 化学物質過敏症(以下CS)の発症でした。甥っ子の母が使っていた洗濯洗剤、米国P&G社の柔軟剤入り合成洗剤ボールドが引き金になりました。その日から私は、坂道をころげ落ちるように重症化してゆきました。汚染されたふとんは触ると痛いので使えなくなり、全て廃棄。畳も廃棄。家の中にあった全ての洗剤、殺虫剤、塗料、あらゆる化学物質を廃棄。座板の張替え。最終的に唯一安全だった二階の自室に閉じこもるのですが、そこも、外の空気から汚染され、ふとんにも入れず、冬の厳寒の夜に窓を開けっぱなしにしてふとんの横で丸くうずくまり、ただただ朝が来るのを待ちました。その時の私のたった一つの願い・・。きれいな空気を吸いたい、それだけでした。

 あらゆるものに反応しました。私が苦しみから逃れる道はただ一つ。全てを処分することでした。お気に入りの服、愛着のあった小物・・全て捨てました。命さえあればなにもいらない・・。苦しみのない寝床。苦しみのない家さえあればいい・・。そういう心境でした。手に入れたとき、本当に嬉しかったマッサージベッド。大切な友人から頂いたガラスのコップ・・。私は日ごろから断捨離をしてきた方で、大切なものだけ残して生活していたのですが、その殆どを捨てました。

 あらゆる物が汚染されており、触れると痛み苦しむからです。痛みをこらえながらも物を守り抜くか、物の未練を断ち切って体調の回復に懸けるか・・。私は迷うことなく後者をとりました。あれほど大切だった物も、その時の私にとってはもはや何の価値もありませんでした。私に必要なものではなくなったのです。

 一年後、実家はどうなったか。空き家に引っ越したような、正に被災難民そのものでした。三分の二以上の家財道具を処分しました。母は物をため込むタイプで、友人やご近所の不要なものを喜んでもらって帰っては、しまい込んでいて、我が家は不用品回収センターになっていました。私は自分が苦しみから逃れたい一心でしたので、ためらわず捨てるわけですが、母にとっては何一つ不要なものはなく、全てが財産だったわけですから、何もかも捨ててしまって・・と大きな喪失感を感じていたようです。私は母には申し訳ないことをしていると思いましたが、何よりも自分が回復することが優先と思い、物事を進めてゆくしかありませんでした。



 この病の発症は、私にとって人生最大の危機であったと同時に、いかにこの病とつき合いながら生き抜いてゆくかを考えてゆく中で、私はこの病の当事者でなければ悟ることのできないある真実を見出すために、私が引き寄せた現実である、ということがわかるようになりました。これは何物にも代えがたい財産です。
 人類の歴史は産業革命以降、石油によって大きく変容(偽りの発展)してゆくわけですが、21世紀は石油の文明と言ってもいいでしょう。そしてもっと言えば、21世紀は化学物質の文明です。化学物質とは自然界に存在しない人工的な物質で、石油から錬金術のように生み出すことができます。現在、1,000万種以上あると言われ、年間6,000種のペースで増えていると言われています。世界中で競って開発が行われているのは言うまでもなく、国家の覇権争いの切り札になるからです。ですので殆どの人工的な新素材(化学物質)は規制がかけられていません。経済発展のさまたげになる、という理由からです。経済発展とは国力に他ならないわけですから、多少の犠牲者も想定内、ということなのでしょう。

 言ってみれば私たち化学物質過敏症患者は、石油文明の遠心力に放り出された、捨て子といえるでしょう。もしくはこの文明に馴染まない人、もっと言うと別の文明に生きる人と言えます。

 このような現実に直面した私が得た答え。それが、最短の問題解決は”新しい文明を創造する”ことである、ということでした。そして、その活動そのものが、治療に繋がる、ということに気づいたのです。
第4話 痛みの始まり(後編)へつづく